弁護士コラム

2014/05

復興を祈って

日向 誓子

 先日、久しぶりに、私の第2の故郷である兵庫県に行ってきました。

 私は、小学校時代の2年間、父の転勤で、神戸市と大阪市のちょうど中間にある兵庫県西宮市で過ごしました。西宮市は、甲子園球場と、毎年1月に「福男選び」(表門から本殿までの約230mを駆け抜けて、早く到着した順に1番から3番までがその年の「福 男」として選ばれる神事です)がニュースとなる西宮神社があるところです。

 山も海も近く、都会でありながら自然豊かなところで、住んでいたのは2年間と短かったのですが、西宮市や、そのすぐ近くの神戸市は、私には、とても印象深く、「第2の故郷」と思っています。

 しかし、私が西宮から引っ越してから約1年後の平成7年1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が起こりました。阪神高速道路の橋脚が根本から折れて、高速道路が倒壊した現場は、まさに私が住んでいたところのすぐ近くで、映像を 見たときの衝撃は今でも忘れることができません。

 震災から約19年が経ち、改めて西宮市、神戸市を訪れてみると、街はすっかりきれいになり、港の周辺には高層の建物がたくさん建って、一見すると、震災の痕跡を全く感じさせない復興ぶりです。

 しかし、街を歩いてみると、記憶ではカーブしていた道が直線道路になっていたり、細かった道幅が急に広くなっていたりと、やはり震災によって街が変わったところがあるのだと感じられました。

 また、港近くのメリケンパークで、震災メモリアルパークというのを見つけました。これは、震災の被害の凄まじさを残すため、震災によって壊れた波止場の一部(約60m)をそのまま手を加えることなく保存しているのだそうです。倒壊した岸壁と傾いたままの街灯に、神戸の街を襲った震災の大きさが窺われます。

 今回、震災から約19年が経過して復興した神戸、西宮の街を歩き、復興した街の力強さを感じるのと同時に、同じく甚大な被害のもたらされた東日本大震災の被災地のことが思い浮かびました。東日本大震災からは約3年。復興への道はまだまだ長く、震災前の日常生活を取り戻すことのできない方も数多くいらっしゃると思います。そういった方たちのために微力でも何かできれば、と神戸の街を見ながら改めて思いました。

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