インターネット掲示板に,真実は,特定の文字などが表示され続けるだけであり,ブラウザを閉じれば終了するプログラムのリンクを掲載しただけであるのに,兵庫県警が,これを「不正なプログラムに誘導するリンクを貼り付けた」と問題視して,平成31年3月に捜索差押を強制的に行い,神戸地方検察庁に送検し,被疑者として扱われた成人男性2名の方々につき,検察官は,令和元年5月22日付で,今回の件をそれぞれ不起訴処分としました。
これら2名の方々が,今後裁判にかけられ,無罪立証の負担を強いられる煩を事実上避けることができたことは一安心です。
しかしながら,検察官の処分は,不起訴処分のうち,「起訴猶予処分」でした。これは,犯罪の嫌疑がありかつ訴訟条件が具備していても,被疑者の境遇や犯罪の軽重,犯罪後の状況などから検察官の裁量によって公訴提起を差し控えるというものです。
今回の事案で兵庫県警が,不正指令電磁的記録供用未遂で検挙したことは,現実空間における冗談行為と同等な行為をネット空間において行っただけで,刑罰に処せられるという懸念を生じさせ,プログラマーや開発者が,利用者に意外性をもたらすようなプログラムを創作する意欲を萎縮させることに繋がるものです。利用者の意図しない範囲で稼働するプログラムは多く存在しており,例えば,アプリケーション・プログラムの作成会社が修正プログラムをユーザーの意図に基づかないでユーザーのコンピュータにインストールしたり,広告会社がユーザの意図とは関係なくユーザーのコンピュータ上に広告を表示したりするようなプログラムは,現在広く社会において有用とされているサービスとして供給されています。こうした数多くのプログラムの中で,如何なるプログラムが刑罰に問われるのかについて,法は明確な基準をもってその規範を提示しなければならないことは,憲法上の要請とされます(明確性の原則)。
不正指令電磁的記録供用罪は,「人が電子計算機を使用するに際してその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせるべき不正な指令を与える」プログラムを作出することを処罰しています。
本罪は,電子計算機のプログラムに対する社会一般の信頼を保護するために規定されたものの,法制審議会をはじめとする議論がネットの世界におけるプログラム開発の現状を充分に反映したものではありませんでした。その結果,単に「その意図に反する動作」とか,「不正な指令」などという極めて曖昧な基準しか規定していません。
このような曖昧な文言が放置されている結果,今般,その立法趣旨や立法時の懸念事項を無視して兵庫県警が暴走して,本来犯罪に該当しない行為をも処罰する動きをしました。これにより,電脳空間における表現行為(プログラムの開発,プログラムの利用を含む)のうち,如何なる表現が刑罰に問われるのかについての基準がその適用上も不明確となり,本来自由であるはずの表現行為全般に萎縮的効果を生じさせました。これは,最高法規たる憲法21条が重要な基本的人権として規定する表現の自由に対する侵害に繋がる状況を生じたさせたことを意味し,違憲な権力の行使であって,法治国家としてあってはならないことです。
Coinhive事件,Wizard Bible事件に次いで発生した事案である本件は,捜査機関の現代技術に対する無理解と,無理解から来る根拠のない不安感・危惧感を犯罪として構成するという理不尽な権力の行使にあたります。
捜査機関の無知が委縮的効果を生み,ひいては我が国のソフトウェア産業,技術革新にブレーキをかけ,我が国の経済と人々の暮らしへもたらされるはずの日本発の革新的技術開発への打撃ともなりかねないと危惧します。
現に,情報セキュリティ,システム開発,IoTなどさまざまな分野で活躍する技術者を中心とした一般社団法人日本ハッカー協会が,被疑者2名の刑事弁護にかかる費用への寄付を募り,わずか25時間程の間に,約700万円の寄付を集めたことは,本件類似事案における捜査当局への強度の不信感が世論として無視できない程に醸成されていることを意味しています。
検察官が,今回起訴を見送った背景には,近時,Webサイトに専用のJavaScriptを設置することでサイト閲覧者のブラウザ上で仮想通貨Moneroをマイニングさせることができるツール「Coinhive」を,閲覧者に無断で自身のサイトに設置したとして「不正指令電磁的記録に関する罪」で横浜地検が起訴するも1審で無罪判決が言い渡された事件(検察は控訴提起中)などの影響もあるものと思われます。
これらの類似事件の推移を踏まえ,検察官は,本件事案において公判維持は困難と判断したものと思料されますが,潔く不起訴処分としての「嫌疑なし」に該当する旨の判断をして,社会に広まった電脳空間における表現行為の萎縮的効果を積極的に除去すべきでした。
今回の起訴猶予処分は,個別の事情で起訴しないこととした,というものに過ぎず,今後も,捜査機関が法的素養を欠いた濫用的摘発に走りかねない状況に対する抑止効果としては不十分です。
そうであるからこそ,我々弁護人は,被疑者らと相談し,今回,積極的に声明を発するに至ったものです。
弁護士の使命は,その法的素養を駆使して,社会から不当にも少数者であったり異端として扱われた人を,その一身において,社会に蔓延する雰囲気に抗ってでも救護して基本的人権を擁護するとともに,事例を通じて広く社会正義を実現することにあります(弁護士法1条)。
検察官,裁判官,及び弁護士は,司法試験合格後,司法研修所において同じ教育を受けて育ちます。しかし,近時は,法曹養成システム自体が劣化しているという実感を我々弁護人も肌で感じるところであり,現在では現役の判事が,具体的事例を挙げて,最高裁判所でさえ少数者保護や基本的人権を定めた最高法規たる憲法判断から逃げる傾向にあり,三権の一翼を担う司法の役割を果たしていない旨の批判を展開する程の状況にあります(岡口基一判事「最高裁に告ぐ」)。
今回,検察官も,捜査機関の過ちを潔く認めて嫌疑なしとして処分するか,正々堂々と公訴提起して,その有罪の心証を証明すべきでした。
有罪に問えると考えているが,個別事情で起訴しないとした起訴猶予処分は,まさに法曹の一翼を担う検察官としては,その職責を全うしていないと社会から批判されてもやむを得ません。
本件事案は,本罪が制定される際の立法過程の国会等での議論を紐解けば,容易に罪に問われないと判断できるものです。
被疑者2名は,兵庫県警の軽薄な勇み足によって,本来罪に問えない行為をもって,被疑者として不当に扱われたものです。
兵庫県警は,被疑者らの自宅に捜索令状をもっていきなり強制捜査に乗り出し,取り調べ中も,犯罪にあたると決めつけてその供述を迫りました。
これら2名の方の日常生活に対して生じた具体的な支障や,精神的苦痛の程度を,自らの立場と置き換えて思いを致せば,不起訴処分の中でも,「犯罪にあたると考えるが今回だけは起訴しないでおいた」という姿勢でお茶を濁して終局的に終わらせる検察官の態度は,これら2名の方の心をさらに抉ることになることに思いを致すべきです。
弁護人らとしては,捜査機関側の不当な捜査及びこれによって被疑者らの生活に生じた支障の責任を問うべく,法的手段を講じることも視野に本件及び本件類似事案に対する社会正義の実現に携わっていく所存です。
2019年(令和元年)5月29日
弁護人 南竹 要
弁護人 室之園 大介