弁護士コラム

2014/04

伝えることの難しさ

前田 八郎

 先日、友人の結婚披露宴において、有名な落語家による主賓の挨拶を聞く機会がありました。それまでの結婚披露宴においては、しばしば主賓の挨拶をやや冗長であると感じることもありましたが、このときの挨拶は、時間にして15分程度、とても楽しく、参列者一同が聞き入っているとの印象を受けました。

 また、別の日には、有名な国会議員の街頭演説を聞く機会がありました。現場には、すでに人だかりができていたため、遠くから演説を聞くことになりましたが、集まった聴衆は、静かに演説に耳を傾け、その後、通りかかった多くの人も足を止めて同様に耳を傾けていました。
いずれも著名人であり、人々の注目を集めやすい立場にあったといえますが、それだけではなく、話題、言い回し、話のテンポ、及び声のトーンなど話し手の技術によって聴衆を惹きつけて、見事に思い・考えを伝えていたことは疑う余地のないところでした。実際に、街頭演説は、選挙の応援演説であったらしく、その後、主役の候補者に語り手が代わりましたが、残念ながら後者には前者ほどの魅力を感じることはできず、当職と同様の感想を持った聴衆が群衆から離れていく様子が確認できました。

 さて、当職は、弁護士として実務を重ねた現在、法的知識・解釈を相手方に伝えることの難しさを痛感しています。

 どうすれば、相手方に正確に伝えることができるのか、日々悩んでいます。

 伝える相手方が、裁判官や弁護士などの法律知識を有する場合、法的議論に踏み込むという点で特有の難しさはありますが、多くの場合、相手方が当職と同程度あるいはそれ以上の知識・経験を有しているため、相手方が当職の意図を汲み取ってくれるので、比較的こちらの意図を伝えることは難しくありません。

 問題は、相談者や依頼者、さらには相手方本人のように、あまり法律に精通していない方々に対して法的知識・解釈を説明する場合です。

 先日、高等裁判所の所長まで経験された元裁判官と話す機会がありました。その際に、その方が次のようにおっしゃっていました。

 「判決を書くに当たっては、判断の当否は措くとして、常に義務教育を受けた者であれば誰しもが、読んで理解できるようなものを、という思いで起案していました。そのため、できる限り、法律家特有の難しい言い回しを使わない様に気を配りました。

 そもそも、法律とは、人々の日常生活の中での普遍的なルールを整理したものであり、本来は、誰しもが理解できるものです。そうであるにもかかわらず、法律を伝えるのに難しい法律用語を使わなければならないというのは、結局のところ、伝える側が法律の意味を真に理解していないと言わざるを得ません。」

 詰まる所、当職の悩みの原因は、当職の法律に対する理解不足に他ならなかったのです。

 弁護士として『正確で、かつ、豊富な法的知識を有すること』の重要性を再認識した次第です。

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