弁護士コラム

2019/03

少年法に抗う

室之園 大介

 皆さんは,「可塑性」(かそせい)という言葉をご存知でしょうか?
法律関係の仕事や学習をしていると時折目にする言葉ですが,一般的にはそれほど頻繁に用いられていないのではないかと思います。
国語辞典によれば,「可塑性」とは,「変形しやすい性質」という意味だそうです。
私がこの言葉に初めて出会ったのは,少年法という法律を学んだときでした。

 少年法は,「少年」,すなわち20歳未満の者が刑事事件を起こした場合に適用される法律です。ちなみに,「少年」といえば一般的には男子を指しますが(女子は「少女」),少年法では性別を問わず「少年」と呼ばれています。また,民法では,20歳以上の者は「成年」と呼ばれていますが,少年法では「成人」と呼ばれています。
 少年法は,「少年の健全な育成」を目的の一つにしており,その目的を実現するために,成人の刑事事件とは異なる様々な規定を設けています。
 例えば,成人の刑事事件であれば,裁判は公開され,誰でも傍聴することができますが,少年の刑事事件の場合は,少年のプライバシー等に配慮して公開はされず,原則として傍聴はできません。

 このように,少年法が,少年をいわば特別扱いをして保護しようとしている理由は,少年が成人とは異なり豊かな「可塑性」を有しているからだといわれています。
言い換えれば,少年は成人と異なり柔軟性があって更生する可能性が高いからだ,ということになるでしょうか。
そして,少年法は,「可塑性」の有無を20歳で線引きし,区別しているということになります。

 そのことを知った時,既に20歳を過ぎていた私は,密かに大きなショックを受けました。
なぜなら,それまで私は,自分が「少年」時代と比べて可塑性を失ったなどと考えたこともなく,それなのに突然,「あなたは可塑性がなくなっているよ」と言われた気がしたからです。

 確かに,弁護士として実際に刑事事件を受任してきた経験の中でも,依頼者の年齢が高ければ高いほど更生が難しいと感じることが多く,逆に,年齢が若い場合には,更生の可能性があると感じることが相対的に多いという実感があります。

 しかし他方で,当然のことながら,人は20歳に達した途端に可塑性を大きく失ってしまう訳ではありません。また,なかには,20歳に達する前から可塑性を失っている人もいるでしょうし,その逆に,20歳を越え年齢を重ねてもなお豊かな可塑性を保っている人もいるでしょう。

 さて,あらためて我が身を顧みると,鈍感なのか自惚れなのか,やはり,自分が可塑性を失ってしまったとはどうしても思えず,とうの昔に20歳を過ぎた今現在でも,「少年」時代と何ら変わらず豊かな可塑性を有していると信じています。

 もしかすると,客観的には,年を追うごとに可塑性を失っているのかもしれませんが,生きている限りは,少年法の理念に抗って,可塑性の維持・強化に挑戦し続けたいと思っています。

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