弁護士コラム

2021/03

「は」か「を」か

南竹 要

 横浜地方裁判所第3刑事部の法廷にて、裁判官3名が入廷し、開廷を告げると、裁判長の判決主文の言渡に固唾を呑む弁護人と被告人。
 裁判長が発する6文字目の音が「は」か「を」で被告人の人生が180度違ってくる。
被告人「を」(懲役や罰金刑)に処す、というのが有罪判決の言い渡しです。唯一、無罪の場合に、被告人「は」無罪と言い渡されます。
 去る3月19日、私が1年以上刑事弁護人として取り組んできた事件において、裁判所は、正当防衛の成立を認め、Xさんに無罪を言い渡しました。
 この事件は、添付の記事にて概要は既に報道されております。

神奈川新聞朝刊(2021年3月20日付)

 この事件では、不幸にも、最初に殴ってきた人物V氏は、反撃行為後、亡くなられましたので、正当防衛が認められ、Xさんを刑事罰に問えないにしても、なんとか避けられなかったのかXさんにはその苦悶が消えることはなく、裁判長の説諭でもその点について自問して欲しいとされました。
 とはいえ、「刑事罰」というのは、その人の人生を大きく作用するものですし、刑法が、不正な侵害に対しては、退避することなく、その場に留まって反撃してよいと認めているのですから、倫理的に避けられたという非難とは別に、きっちりと刑法が積み重ねてきた議論を正面から適用すべき事案だったのです。
 弁護士たるもの、専門を名乗る前に、一般的にあらゆる事件に法を適用して事案を解決する力が求められます。普段民事事件の取扱が多いにしても、ある取引が刑事罰に触れることはいくらでもあるわけです。その意味でも、私は、常に2件ほど刑事事件を抱えるように意識し、刑事裁判における技法に磨きをかける意識で取り組んでいます。
 そんな最中、舞い込んできた本件事件は、講学事例のように、まさに正当防衛の問題ですし、司法試験に問われたら、正当防衛の成立以外の結論は採りにくいとまで思える事案と感じました。
 しかし、検察側が起訴してきた以上、徹底して闘う。Xさんには、刑法の理論を分かりやすく説明して、今置かれている状況を把握してもらい、闘う意義を問うことにまずは力を注ぐことになります。刑事弁護をしていると、本人が諦めて無気力になってしまう方もいるので、あくまで本人に深い理解と突き進む意欲を持って貰うために鼓舞し続けました。起訴して暫くして保釈が認められるまで、半年以上は勾留されていたわけで、その間Xさんは社会的に信用を失墜することになります。
 無罪推定の原則があっても、既に失墜した信用を取り戻すための闘いは長いものです。本人の意欲が続いてくれましたので、私も思う存分理論的に闘うことができました。
 刑事裁判においては、裁判官に、検察の言っていることも、弁護人の言っていることもどっちもあり得るんだよな、と思わせれば、判決は無罪です。検察官は立証責任を負っている具体的な意味です。
 今回の判決は、従来の判例理論に沿って、極めて常識的に、丁寧に事実認定をして、正当防衛の成立を認めました。その意味では、当然だと思っています。
 問題は、やはり、検察側の一連の対応です。唯一の客観証拠といってよい防犯カメラの画像を見れば、殴り返した事案ですので、正当防衛を主張されることは同じ法律家の目からみれば、当初から明白でした。従前の理論に照らすと、正当防衛が成立する余地がそれなりにあることは検察側は容易に予測できたし、しなければならない。本来起訴の段階で、公判維持困難として、不起訴処分にすべきでした。
公判検事の対応を見ていると、公判で新たな判例理論を打ち立てようという気概も見受けられませんでしたので、起訴検事の見通しの甘さがあったと見られてもやむを得ない。検察権の行使が、やり過ぎて独善に陥るのではなく、やるべきことを怠りすぎて独善に陥ったと評価します。一人の市民の人生がこの独善で翻弄されたことを思えば、猛省すべきです。
訴因変更を断念するにも、どうしてそんな時間を要するのか、A4判で2頁ほどの主張予定書面を提出するのにどうしてそんな時間を要するのか、民事事件なら、問答無用で不利な心証を抱かれます。やはり組織としての気概や志が足りてないと見ざるを得ない体験をしました。
捜査機関の独善については、2019年に担当した事件で声明を発したことがあります。
 https://www.yokohama-park-law.com/news/20190529.html (「アラートループ事件の被疑者2名に対する起訴猶予処分を受けて」)
 この事案は、当時ネットで、クラウドファンディングが組成され、私どもで弁護を担当し、無事に不起訴処分を勝ち取れたものでした。この頃、類似事案で、起訴された事件があり(いわゆるコインハイブ事件)、この事件では、一審判決が無罪でしたが、控訴審では有罪となっています(東京高判令和2年2月7日判時2446号78頁、なお、板倉陽一郎教授は、「解題 コインハイブ事件控訴審」(Law and Technology No91.44頁注9において、私どもの上記声明に言及されています。)。
 弁護人として、担当した事案には、全力で取り組み、きちんと結果を出していく、そうした闘いは今後も続いて参ります。

 

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