弁護士コラム

2021/4

受験

阿部 泰典

 我が事務所には、現在9名の弁護士と3名の事務員がおり、合計12名ですが、この冬は、そのうちの半分の6名の者の子供達が、下は小学校受験から上は大学受験に挑戦するという、いわば受験の流行り年でした。
 そんなこともあり、ふと自分の受験のことを思い出しました。
 私が最初に受験を経験したのは、中学受験でした。当事務所には、小さい頃、神童だったという弁護士が複数名いますが、私は神童とはほど遠く、小学校1、2年生の頃は、「よい」「ふつう」「がんばりましょう」の成績表のほとんどが「ふつう」で、お世辞にも勉強は得意ではありませんでした。
 小学校3年だったと思いますが、夏に親に買ってもらったカブトムシやクワガタが入った虫かごを持って、私は、どこかに遊びに行った帰りでした。私の家は丘の中腹にあったため、道路から家の門まで長い階段があり、その階段にはスロープになっている部分がありました。
 私は、自転車から降りて、手に虫かごを持ちながら自転車をスロープの部分にのせて押して階段を登っておりました。
 家の門まで中間地点くらいの時、地元の不良っぽい中学生が階段を登って、自転車を押している私のところに来ました。その中学生は「君、その虫かごを持ちながら自転車を押して登るのは大変でしょ。俺が持っていてあげるよ。」と言いました。私の地元は横浜市鶴見区で、当時は、中学校が荒れていた時代で、恐い中学生が少なからずいました。
 私は、その中学生に虫かごを渡したくなかったのですが、渡すのを拒んだら何をされるか分からないと思い、私はやむを得ず、その中学生に虫かごを差し出しました。
 その中学生は、私から虫かごを受け取るやいなや、階段をダッシュで下って行きました。 私は、大事にしていたカブトムシやクワガタを取られてしまい、泣きながら家に帰りました。
 この時、私は、あんな奴がいる中学には絶対行きたくないと思い、その後、私立中学への受験を決意するのでした。
 受験勉強を始めたものの、目指す中学へ合格できる学力にはなかなかならず、結局、二つ受験した学校はいずれも不合格となりました。
ところが、合格発表から1週間後に浅野学園中学から電話があり、「うちに来ませんか」とのこと。「えっ?行きます、行きます。」と即答しました(笑)。補欠での入学となったのでした。小学校5年生の時、区の水泳大会で学校代表の補欠を経験していた私は、自分の人生は補欠ばかりだなと思ったものでした。
 中高一貫の私立学校に行ったため、私は高校受験は経験しておりません。
大学受験では、現役・一浪を通して、4つの大学を受験しました(延べの受験数は8回くらいだったと思います)が、合格できたのは中央大学法学部だけでした。そのため、大学で勉強したかったことができないことになり、失意のどん底で大学に入学しました。
受験に強くないことを自認していながら、中央大学法学部は周りが司法試験を受ける人が多いため、周囲に流されて、私は司法試験を受験することになりました。
幸い司法試験は、比較的若くして、合格者数600人時代に真ん中より上位の成績で(後に情報開示制度が出来てから判明)合格することができ、2年の司法修習を経て弁護士になることができました。

 地元の中学に行っていれば、周囲に流されやすい私は、あの少年と同じような不良少年になっていたかもしれません。今思えば、あの不良少年がいたから、勉強に力を入れるようになり、今の私があるのかもしれません。その意味では、あの少年に感謝しないといけないのかもしれません。あの少年は今頃どうしているだろうか。

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